ベトナム国際結婚

ベトナムの紹介

ホーチミンの統一会堂

ベトナム社会主義共和国

正式名称 国旗ベトナム社会主義共和国
位置 インドシナ半島の東部に位置する。インドシナ半島の東海岸を占める国土は南北に長く、北は中国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東と南は南シナ海に面し、フィリピン、ボルネオ島(マレーシア連邦やブルネイ、インドネシア)そしてマレー半島(マレーシア連邦およびタイ王国南部)と相対する。
領土 331,212k㎡
人口 103,808,319人(2022年)
通貨 ドン(VND)
独立 1945年9月2日 独立宣言(ベトナム民主共和国)
1954年7月21日 独立承認(ジュネーブ協定)
1976年7月2日 南北統一、改称
民族 公式に認められている民族が54あり、そのうちキン族(ベトナム族)が最も多く、人口の85~90%を占める。その他に少数民族のホア族(華人)、タイー族・ヌン族(タイ系)クメール族、ムオン族、モン族、ザオ族などで構成される。
言語 ベトナム語が公用語である。その他に中国語、クメール語なども使われており、フランス植民地当時の影響でフランス語が理解できる人もいる。また、ソビエト連邦などの共産主義国とのつながりでロシア語を理解できる人もいる。ただし、最近の若年層への教育は英語教育が一般的になり、町の看板などを見ても観光客相手に英語表記も多くなっている。
電話 +84
鉱物 石炭や石油を中心とした有機鉱物資源、スズを中心とした金属鉱物資源に恵まれている。スズは世界第4位(4000トン、世界シェア1,5%,[2005年])亜鉛、金、クロム、鉄、鉛、リン鉱石なども産出
GDP 1兆188億7300万ドル。一人当たり10,559,323ドル(2019年)
2010年には中所得国になっており、近年は平均所得の向上で富裕層、中間層の増加により、消費市場としての経済発展が見込まれる。2023年のGDP成長率は6.5%に達すると政府は見込んでいる。
経済 1986年、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策を採択、中国の改革開放と同様に市場経済路線へと転換した。2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とし、ドイモイ政策の導入以降、貧困率は大幅に改善され、1993年の58,1%から2015年には5%以下となった。政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。2007年には政府にとって重要な目標となっていた世界貿易機構に加盟した。世界金融危機で一時失速した国内総生産の成長率も、2010年代は平均して5~6%の安定成長が続いている。一方インフレ率は、2011年に18,7%と高い数値を記録したが2017年には3,5%となった。中国では人件費が上昇傾向にあることから、新たな投資先として注目が集まっている。欧州連合(EU)は2020年に新興国で初のFTAを 発効した。
旧ソ連圏であるユーラシア経済連合もFTAを締結。また、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)では、米国政府によれば最も利益を受ける国とされ、日本政府によれば交渉でも主導的な役割を果たしており、世界銀行によればTPPで最も恩恵を受ける国である。
NEXT11やVISTAの一角にも数えられており、今後一層経済の発展が予想されている。1日1ドル以下で生活する貧困層の割合は中国、インド、フィリピンを下回る。安い人件費、ODAを活用したインフラ整備を背景に外国資本の受け入れでASEANでは高い経済成長を続けている。
歴史 紀元前8~7世紀、現在の北部・中部に集落ができ争いの末、バァラン国が誕生しベトナム初の国と言われています。紀元前257年頃、南下する「秦」と戦うためにバァラン国の北部に興ったナムクオン国の王トゥクファンがバァラン国を吸収しアウラクという国を建国する。アウラクの人々は秦を撃退する。紀元前203年~アウラク北部の人は秦を撃退して新たに南越国を建国します。この時、秦の始皇帝が死去し秦朝は衰退していきました。そこで南越国はアウラクを滅し。国を大きくする。しかし秦が滅亡した後に漢が力を強め、紀元前112年に南越国は敗北して滅び、漢に支配される。漢の官僚たちによる支配が進み、圧制に不満を持つ、かつての南越国の人々が何度も中国の王朝(漢、隋、唐)に反乱を起こします。反乱→独立→再統治を繰り返す時代が500年以上続いた。しかし900年頃、ついに唐によるこの地域の支配は薄まり人々は独立した王朝設立を目指す。唐からついに独立した李朝は1009年、李公蘊(りこううん)によって開かれました。李朝はベトナム史、初の長期政権で、1054年に国名を大越国とし、侵略してきた宗を追い返しました。
李朝は科挙や儒教・仏教を導入して中国文化を発展させました。しかし政治体制が未熟であったために反乱が起き、李朝は消滅します。
1225年~ 李朝が倒れた後、陳守度(ちんしゅど)は陳朝(ちんちょう)を樹立する。陳朝は血縁を重視することで中央政権を集中させていきました。陳朝は1257年~1289年までの間にモンゴルから3回の侵攻を受けたが撃退し、モンゴルを属国にした。しかし侵攻により社会は混乱し、飢餓問題に直面した。陳朝では有能な血縁関係が減ったことで中央政権が不安定となり衰退しました。 陳朝消滅後に1428年、黎利(れいり)によって黎朝(れちょう)が誕生する。科挙や儒教・仏教を今まで以上に取り入れ、律令制度の整備を行い政治を安定させました。
しかし、国王が短命のために王朝が衰退していき、武将たちの覇権争いで混乱が広がり黎朝は衰退した。黎朝が消え、グエン朝は1802年に設立します。ベトナム南部出身の阮福暎(かりゅうてい)が中部・北部を制圧してベトナム全土を統一した王朝となりました。国名は越南国(えつなんこく)になりました。
グエン朝は科挙を実施し政権の集中化に尽力しましたが、フランスが1856年にインドシナ出兵でベトナムの中部と北部を侵略され政権を支配されます。
清は越南国の宗主国と主張し、侵攻してきたフランスと1884年に清仏戦争が勃発。
紀元前8~7世紀、現在の北部・中部に集落ができ争いの末、バァラン国が誕生しベトナム初の国と言われています。紀元前257年頃、南下する「秦」と戦うためにバァラン国の北部に興ったナムクオン国の王トゥクファンがバァラン国を吸収しアウラクという国を建国する。アウラクの人々は秦を撃退する。紀元前203年~アウラク北部の人は秦を撃退して新たに南越国を建国します。この時、秦の始皇帝が死去し秦朝は衰退していきました。そこで南越国はアウラクを滅し。国を大きくする。しかし秦が滅亡した後に漢が力を強め、紀元前112年に南越国は敗北して滅び、漢に支配される。漢の官僚たちによる支配が進み、圧制に不満を持つ、かつての南越国の人々が何度も中国の王朝(漢、隋、唐)に反乱を起こします。反乱→独立→再統治を繰り返す時代が500年以上続いた。しかし900年頃、ついに唐によるこの地域の支配は薄まり人々は独立した王朝設立を目指す。唐からついに独立した李朝は1009年、李公蘊(りこううん)によって開かれました。李朝はベトナム史、初の長期政権で、1054年に国名を大越国とし、侵略してきた宗を追い返しました。
李朝は科挙や儒教・仏教を導入して中国文化を発展させました。しかし政治体制が未熟であったために反乱が起き、李朝は消滅します。
1225年~ 李朝が倒れた後、陳守度(ちんしゅど)は陳朝(ちんちょう)を樹立する。陳朝は血縁を重視することで中央政権を集中させていきました。陳朝は1257年~1289年までの間にモンゴルから3回の侵攻を受けたが撃退し、モンゴルを属国にした。しかし侵攻により社会は混乱し、飢餓問題に直面した。陳朝では有能な血縁関係が減ったことで中央政権が不安定となり衰退しました。
陳朝消滅後に1428年、黎利(れいり)によって黎朝(れちょう)が誕生する。科挙や儒教・仏教を今まで以上に取り入れ、律令制度の整備を行い政治を安定させました。
しかし、国王が短命のために王朝が衰退していき、武将たちの覇権争いで混乱が広がり黎朝は衰退した。黎朝が消え、グエン朝は1802年に設立します。ベトナム南部出身の阮福暎(かりゅうてい)が中部・北部を制圧してベトナム全土を統一した王朝となりました。国名は越南国(えつなんこく)になりました。
グエン朝は科挙を実施し政権の集中化に尽力しましたが、フランスが1856年にインドシナ出兵でベトナムの中部と北部を侵略され政権を支配されます。
清は越南国の宗主国と主張し、侵攻してきたフランスと1884年に清仏戦争が勃発。
しかし、この戦争はフランスの勝利に終わる。フランスは1887年天津条約で、ベトナム全土とカンボジア、ラオスなどを束ねたフランス領インドシナとして植民地支配をする。しかし、第二次世界大戦が始まるとフランスはドイツに敗れ、インドシナの植民地支配はフランスから日本へ移行します。
1945年、日本はポツダム宣言を受け入れて第二次世界大戦に敗北し、インドシナから撤収します。ここでベトナムの北側地域は独立を試みたホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国の建国を宣言します。しかし、ベトナム民主共和国は独立ができませんでした。ポツダム宣言によって、北緯17度以北が中国の植民地、北ベトナムに以南がフランスの植民地、南ベトナムになってしまったからです。フランスはまた南北ベトナムを支配するために中国と条約を結び、中国を北ベトナムから撤退させます。そしてホー・チ・ミン主導の北ベトナムはフランスに対抗するためにインドシナ戦争を始めます。北ベトナム軍は1954年のディエンビエンフーの戦いでフランス軍を撤退させてインドシナ戦争に勝利します。しかしアメリカが、敵対するソ連の近隣国であるベトナムが社会主義国になるのを恐れ、1965年に北ベトナムに空爆を行い、ベトナム戦争が始まりました。アメリカ軍の激しい空爆や北ベトナム軍のゲリラ戦で南北ベトナムともに多くの犠牲者を出したものの、アメリカ軍は戦況を打開できずに撤退し、北ベトナムの勝利で終わりました。北ベトナムは南ベトナムとの戦争に勝ち、南北が東一され1976年7月に現在のベトナム社会主義共和国が設立されました。隣国のカンボジアはアメリカに勝ったベトナムが侵攻してくる可能性を恐れ、カンボジアは1978年にベトナムに進軍しますが、敗北します。
これを見た中国は親交のあるカンボジアに代わってベトナムに侵攻しますが、これもベトナム軍によって制圧されました。
宗教 仏教(大乗仏教)が大半を占めている。その他にも道教やキリスト教もあり中部地域ではイスラム教やヒンドゥー教、南部ではベトナム独自の宗教であるカオダイ教やホアハオ教もある。
気候 南北に長い国土を持ち、地域によって異なる気候が特徴的です。北部は11月から翌年2月にかけて寒波の影響を受け時には氷点下になることもあります。しかし夏季は暑くて多雨な気候となり、7月から9月にかけては台風の影響を受ける。中部は年間を通じて暑く、雨季と乾季の気候の変化がはっきりとしている。6月から10月の雨季の時期はたびたび洪水が発生する。
南部は熱帯気候で年間を通じて高温多湿な気候です。5月から11月にかけては雨季となり毎日のように雨が降る。モンスーンの影響を受け、洪水の発生することがあります。
産業 農業ではコーヒー豆の生産量がブラジルに次いで世界第二位の生産量。米の輸出量はインド・タイに次いで世界第3位である。 鉱業では石炭が上質の無煙炭であり、19世紀からホンゲイ炭として採掘が始まっている。石炭技術で釧路コールマインとの繋がりが太く、北海道釧路市に名誉領事館を設置している。2003年時点の採掘量は1,670万トン。原油は1,660万トンを産出する産油国でもある。天然ガスの採取量は126千兆ジュールとなっている。 労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二次産業、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。
観光
  • ドンラム村
    ハノイの西45kmにある小さな村。当時の街並みが残っている。ベトナムの世界遺産候補として注目されている。
  • ホー王朝の城壁
    ハノイから南へ130km。わずか7年で消えた王朝。
  • タンロン王城遺跡
    11世紀~19世紀まで栄えていたタンロン王朝の城
  • チャンアンの複合景観
    ベトナムで唯一、複合遺産認定を受ける。周辺には鍾乳洞がいくつもあり、手漕ぎのボートで巡る。
  • 統一会堂
    南ベトナム政権時代の旧大統領官邸
  • サイゴン大教会(聖マリアナ大聖堂)
    フランスの植民地時代1880年から6年かけて作られた歴史ある協会。フランスから輸入されたレンガやステンドグラスを使っている。
  • ニャチャン
    欧米人に大人気。ベトナムのビーチリゾート
  • タンロン王城遺跡

  • サイゴン大教会(聖マリアナ大聖堂)

交通機関 ハノイのメトロ計画は全10路線が計画されており、その中で2路線が現在建設されています。ハノイの中心地から郊外に延びる路線がほとんどであり、ノイバイ国際空港と市内を結ぶ路線も計画されています。2011年から建設が始まった2A号線は中国からのODAで建設され当初予定2015年より大幅に遅れ2021年に開業しています。
ハノイより人口密度の高いホーチミン市では急激な経済発展と人口の増加に伴い鉄道を軸とした新たな交通手段の切り札として都市鉄道建設を進めている。ベトナム国営企業と住友商事などの日本企業が共同事業体を組み発注したことで現地の雇用も期待されている。計画では高速都市鉄道8路線、路面電車1路線、モノレール2路線を整備する予定である。2012年に1号線の建設が始まり2024年には完成が予定されている。
市街地区や近距離なら「セオム」と呼ばれるバイクタクシーがあります。ただし海外旅行保険は、バイク事故には適応されないので駐在員やその家族は禁止にしている企業が多いです。
ローカルタクシーはVina sun TaxiとMai Linh Taxiの2大大手は比較的に安心です。
メーター制ですが、場合によっては下3桁の0が表示されないこともあります。(10万ドンの場合、100と表示される)1,000ドン以下は切り捨てと思ったほうが良いです。
ローカルバスは車掌がいるのでその人に料金を払います。降りるときは「ゲーチャム」と言います。降りるバス停の一つ前のバス停を過ぎて少ししたら言わないと停車しない場合があるので要注意です。
長距離鉄道は南北間しかありません。長距離バスは寝台バスやVIPバスがお薦めです。料金もさほど高くないです。

祝祭日

日付 日本語表記 備考
1月1日 正月 日本と違い、2日より官公庁や企業は通常営業
1月1日 旧暦 テト(旧正月) 前後一週間程度を官公庁や企業が休む
3月8日 国際婦人デー 祝日
3月10日 フンヴォン記念日 紀元前にベトナム北部を初めて統一した国王
4月30日 南部解放記念日 サイゴン陥落を記念
5月1日 メーデー 南部解放記念日と続き、唯一の連休
5月5日 端午節 別名「虫封じの日(殺虫説)」
5月19日 ホー・チ・ミン誕生日 祝日
6月1日 こどもの日 祝日
8月15日 中秋節 祝日
9月2日 国慶節 ベトナム独立宣言(1945)発布を記念
10月20日 女性の日 祝日
11月20日 先生の日 先生や教師に対して感謝する日

ベトナム人の特徴

ハノイの街並み

ベトナム人の国民性は個人差がありますが手先が器用な人が多く、向学心もあり真面目で勤勉です。ただ、南部では目先のことしか考えずに計画性がないところもあります。
相手を自分のペースに引き込むのも上手いようです。縦長の国土で南北の地域によって性格や気質が違います。

北部 日本に似ていて四季があり、冬は寒いので植物が育たなかったりして食料を確保しておかなければならないという思いから自然と先のことを考えて慎重に行動します。
真面目で勤勉な人が多いです。気骨があり、ベトナム戦争でもアメリカを撤退させています。
中部 ダナンを中心とした地域ですが、まだまだ田舎で貧しい生活をしているので現実的です。勤勉で開拓精神が旺盛な人も多いです。
南部 熱帯気候で作物も育ちやすく、食べるのに困らないようです。そのことからもあまり先のことは心配しないで楽天的でおおらかな人が多いです。

ベトナム人の名前

名前は「名字+ミドルネーム+名前」の順番で書きます。例えばホー・チ・ミンという人はホーが名字で、チがミドルネーム、ミンが名前です。
ベトナムは漢字文化圏(現在は常用していない)に属しており、人名も主要民族であるキン族を中心に、漢民族の人名に類似する。夫婦別姓で子は基本的に父の姓を継ぐことが多いが、母の姓を継ぐことが多い。まれに父母の姓を続けて「父の姓+母の姓+ミドルネーム+名前」の人もいる。
姓は少なく、250種類ぐらいで8割を占めている。最も一般的な姓で、阮(グエン)が人口の38%、陳(チャン)が11%を占めています。次が黎(レ)が9,5%で、3つの姓だけで全体の60%を占めます。
姓で呼んでも識別しにくいので基本的に目上、目下の人に関係なく「名」で呼びます。

ホーチミンの風景

ベトナム人の服装

ベトナムの服といえばアオザイですが、お祝い事や式典などに着る特別な服であり、日常的には着ていません。日本の着物的な扱いです。
最近の若者は個人差はありますが、男性はタイトで派手目なシャツとぴったり目のズボンを好みます。若い女性は肩が出ている服やへそ出しTシャツ、ミニスカートなどの露出が高めの服を好んで着ています。

ベトナム人の平均寿命

2020年の時点では75,49歳でしたが、2021年は75,32歳、2024年にわかる最新の平均寿命は73,62歳です。今後はさらに短くなる可能性があります。
平均年齢は約30歳で全人口のおよそ60%が30歳以下です。15~59歳の占める割合は65%となっています。日本の平均年齢45歳と比べてもいかに若いかがわかります。

ベトナム人の主食

ベトナム人の主食は、日本人と同じお米のご飯です。
フォーはベトナム料理を代表する名物ですが、基本的には家庭料理ではありません。フォーはスープの出汁に時間をかけて作るので家庭で作ることはほとんどありません。ご飯を茶碗によそって総菜や肉を添えて食べる習慣があります。

ベトナム女性について
※個人差はあります

ホーチミンの街並み

ベトナム女性は貞操観念が強い

一般的に貞操観念が強く付き合う前は勿論、交際してからも慎重です。
一昔前までは結婚前に子供を作るなんて事は許されませんでした。そういう事もあいまって、女性は早くに結婚し家庭に入り、子供を作ることが幸せであるとされていたのでしょう。それが平均初婚年齢の若さにも繋がっていると考えられます。

働き者で責任感が強い

ベトナムの女性は非常に働き者です。彼女たちは家庭や職場での責任を真剣に受け止め、努力しています。ベトナムの文化や社会において、女性は家族やコミュニティの一員として重要な役割を果たしています。

キャリヤ志向が強くて優秀な人が多い

半数の女性が社会へ進出しているベトナムでは、とにかく女性の活躍がとても一般的であると感じます。ベトナム系/日系企業問わず、マーケティング・マネージャーなどのトップを仕切っている女性の割合は圧倒的に高いです。キャリアについて上を目指していきたい、色々なことを学びたい、着実に自分の力をつけたい、といったストイックな姿勢は、女性からのほうが感じます。

色白でスタイルが良い

ベトナム料理は炭水化物が少なく野菜中心でトマトをよく使います。トマトにはリコピンが多く含まれており、美白効果があると科学的に証明されています。
それにビタミンCやβカロチンといったミネラル類も多く含まれておりこれらの成分も美肌に効果があります。それで色白で美肌になるわけですね。
健康食で肥満の人が少なく、民族衣装のアオザイもタイトなので自然とスタイルが良くなるのでしょう。

優しく、思いやりがある

ベトナム人女性は、男性を立ててくれる傾向があります。彼女たちの恥じらいは、昭和初期の日本人女性に似ています。
また、心が優しく、思いやりがあることも特徴です。相手の立場に立って考え、行動できることが多いです。

年齢差について

日本人女性と比べると年齢差に対しては比較的に寛容です。
10歳~15歳は当たり前でさほど気にしない人が多いです。恋愛対象ではなく結婚生活のことを重視するので同世代よりも安定した中年の人でもOKです。
しかし20歳差位までで実年齢よりも見た目が若ければ、あまり気にしません。

ベトナム女性会員一覧

ベトナム人女性をお薦めする理由

ハロン湾

ベトナムは大の親日国で日本に対して尊敬と憧れを持っています。そして日本へ学びに来る研修生もかなり多く、日本語を習得して話せる人も多いです。
ベトナム人女性は素直で素朴ですが、ただ従順というのではなくしっかりとした芯もあります。
優しくて、思いやりがあり協調性もあり日本女性と似ています。惚れた男性には非常に尽くす傾向があり、世話を焼くことが好きで大事にしてくれます。

貞操観念も強いので浮気の心配は少ないでしょう。また、東南アジアの人にしては色白で日本の街を歩いていても違和感がないと思す。一般的に細身でスタイルも良いですね。あまり太った女性を見かけません。専業主婦というより外でよく働きますが、家庭的で家族も大事にします。

ベトナムに進出している日本企業も多く、日本人男性はとても人気があり評価が高いです。ベトナム女性から好まれているので日本人男性との相性も良いです。

ベトナム女性とうまくいく心得

ホーチミンの街並み

国が違えば当然、習慣や考え方も違い、物事の捉え方や受け取り方も違います。
一方的な考えの押し付けや思い込みは注意するべきです。男性側が寛大な心を持って女性に接することが円満の秘訣です。

はっきりと感情を伝える

思っていることをはっきりと言葉にして伝えることが大事です。言わなくてもわかるだろうとか、不機嫌な態度をとっても女性は、なぜ怒っているのか?何を考え何を望んでいるのかわかりません。日本人のように空気を読むことはありません。相手が察しないからといって物に当たっても伝わりません。感情的にならずに冷静になって筋道を立てて話しましょう。
また、自分が悪い時は「ごめんなさい」と誤り、何かをしてもらったときは感謝の「ありがとう」も大事です。

習慣の違いを理解する

2人で何処かへ行こうとか、何かをしようと誘ったときに友達や親兄弟を連れてきたりすることがあります。ベトナム女性は家族優先なところがあるので大目に見ましょう。

金銭感覚の違いを理解する

ベトナム人は日本人の節約を理解しないところがあります。日本人からしたら将来的に必要だからこのお金は使わずにとっておこうと思っていても、ベトナム人からしたらお金を持っているのになぜ使わないのかと言い、ただのケチとしか思われなかったりします。気前の良い人を好みます。 しかし、何でも気前よく女性の要求を聞いていては、いくらお金があっても足りません。癖になり段々エスカレートします。ほどほどに加減しながら安価で品質の良いものを与えましょう。

ホーチミンの街並み

自分の考えや価値観を押し付けない

国や育った家庭や環境も違うわけですから同じようにできる訳がありません。日本はこうだからとか、自分はこう考えているからと自分の価値観ややり方を相手に望んだり、要求すること自体が間違いです。そのへんは大目に見て徐々に慣れるまで待つ寛大な心も大事です。