ベトナム・ベトナム人について、ほんの少しですが情報のご提供をさせて頂ければと思います。
是非、今後の参考にしてみて頂けると幸いです。
ベトナムの基本情報
正式名称 | ベトナム社会主義共和国 | |||
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国土面積 | 33.12 万 km² | |||
人口 | 約9,621万人(2019年推計) | |||
首都 | ハノイ | |||
独立年月日 | 1945年 9月 2日フランスより独立宣言(ジュネーヴ協定) 1954年7月21日 南北統一、改称1976年7月2日 |
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国連加盟 | 1977年9月20日 | |||
在日公館 | ベトナム社会主義共和国大使館 〒151-0062東京都渋谷区元代々木町50-11 |
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国民総所得 | 1768億9442万0276 米ドル(2014) | |||
平均寿命 | 76.3歳 | |||
民族 | キン族(越人)が約86%、他にモン族、ムオン族、ヌン族、クメール族など53の少数民族 | |||
言語 | ベトナム語(公用語) | |||
宗教 | 仏教(80%)、カトリック、カオダイ教 | |||
地形 | 山岳が国土の多くを占めており、国土の4分の3がラオスやカンボジアとの国境地帯にそびえるアンナン山脈などの山岳地帯、平野部は北部のホン川(紅河)デルタおよびメコンデルタで、それ以外は海岸沿いにわずかに広がっています。 首都はハノイ、最も大きな都市はホーチミンと成ります。この2都市のほか、ハイフォン、ダナン、カントーの計5都市が中央政府直轄市となっています。 政府直轄市を除く地域は58の省に分かれます。 |
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気候 | ベトナムは、北部と南部で気候が異なります。 ハノイを中心とした北部は亜熱帯気候で四季があります。 6月~8月は30度前後の高温になり湿度が高く蒸し暑いです。 12月~2月にかけては10度前後まで下がります。 暖房施設を完備していないため、防寒着が必要です。 中部より北は8月~9月には台風に見舞われることがあります。 排水設備が不十分な低地では浸水することがあります。 ホーチミンを中心とした南部は熱帯性気候です。 年間を通して高温多湿の常夏です。 5月~11月が雨季で、1日数回スコールがあります。 12月~4月は乾季で晴天が続きます。 |
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世界遺産 | ベトナムの世界遺産は文化遺産が5件あります。 その他に、自然遺産が2件、複合遺産は1件で、合計8件あります。 フエの建造物群 1993年 ハロン湾 1994年 古都ホイアン 1999年 ミーソン聖域 1999年 フォンニャ=ケバン国立公園 2003年 ハノイのタンロン皇城の中心区域 2010年 ホー王朝(胡王朝)の城塞 2011年 チャンアンの景観複合体
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年間休日 | 1月1日 | 新年 | ||
※旧暦(12月12日) | ドンダ祭り | |||
1月9日 | ベトナム学生・生徒の日 | |||
※旧暦(12月23日) | 吐君節(台所の神様の日) | |||
※旧暦(1月1日) | テト(元旦) | |||
3月8日 | 国際婦人デー | |||
※旧暦3月10日 | フンヴオン記念日(英語版) | |||
4月30日 | 南部解放記念日(英語版) | |||
5月1日 | 国際労働日(メーデー) | |||
※旧暦5月5日 | 端午節 「虫封じの日(殺虫節)」 | |||
5月19日 | ホー・チ・ミン主席誕生日 | |||
6月1日 | 子供の日 | |||
※旧暦8月15日 | 中秋節 | |||
9月2日 | 国慶節 | |||
11月20日 | 先生の日 |
アトラス参照・その他
ベトナムの歴史
【フランス植民地時代】
ベトナムは、外国の侵略と戦い続けてきた国である。
ベトナムの国力が弱かったため、19世紀に侵入してきたヨーロッパの勢力には全く対抗できなかった。
【仏領インドシナの成立】
ナポレオン3世のフランスは、インドシナに出兵した。
1862年・フランス軍は、サイゴンを占領する。
1883年・ベトナムは、フランスの保護国となる。
1887年・ハノイに総督府を置くインドシナ連邦が成立する。
仏領インドシナは、ラオス・カンボジアも含まれた。
フランスは、ベトナムをコーチシナ・アンナン・トンキンの三地区に分割しベトナム人の団結を防いだ。
20世紀初め、ベトナムは急速にフランス化された。
フランス人は、インドシナの伝統文化を文明とは評価せず、近代ヨーロッパ文明とカトリックを持ち込んだ。
【ホーチミンの登場】
ベトナムの上流階級の人は、その師弟をフランスで教育した。
後のレジスタンスの指導者はそういった人が多く、ホーチミンもその一人だった。
ホーチミンは、 1890年、フランスを嫌った役人の息子として生まれる。
若い頃にベトナムを出国し、欧米で船員・コックとして働く。
1917年、パリに行き、グエンアイコックと名乗り、ベトナム独立運動を始め、次第に有名な存在になった。
1921年、フランス共産党にベトナム人として初めて入党した。
その後もフランスに留まり、反植民地新聞のカメラマン助手として働いた。
1923年にはモスクワへ渡り、その後、中国など各地を飛び回った。
そして、ベトナムでは彼の支持者が運動を始めていた。1930年、ベトナムで、ベトナム共産党が結成される。
翌年、フランスは弾圧をかけた。
また、先の国王の息子でフランスに長く留学していたバオ=ダイを皇帝とした。
しかし、バオ=ダイは、圧政に苦しむベトナムの救済にはほとんど貢献していない。
【ベトミンの民族運動】
1930年代に入ると、満州国建国、日中戦争開始と、日本の大陸進出が活発化した。
日本は、軍事物資がベトナム経由で対立相手の中国・蒋介石に入るのを阻止しよう考えた。
フランスがドイツに降伏した3日後、インドシナへの進駐を要求した。
1940年9月、フランスは、日本の北部仏印進駐を認める。
フランスは、インドシナでの行政権を続行したまま、日本軍の空軍基地と施設の使用を認めた。
アメリカは、日本の北部仏印からの撤退を求め、民族主義を主張、その後のベトナムの民族運動を支援する。
1941年には、日本は南部仏印にも進駐し、ベトナム全体を植民地とした。
1945年3月、日本軍はフランス軍を制圧し、フランス軍を捕虜とする。
日本軍はクーデターを正当化するためバオ=ダイを擁立した。
ホーチミンはこの頃、ベトナムに帰国し、ベトナム独立連盟( ベトミン )を指導して民族運動を展開した。
ベトミンは共産主義者グループだが、戦争中は民族主義のグループとして、ゲリラ活動で日本・フランスに抵抗していた。
1945年の初め、飢餓がベトナムを襲った。
日本・フランスは、ベトナムのため何の対策もとらなかったばかりか、日本軍は食料を徴発。
日本に米を輸出するなどして、ベトナムの北部を中心に200万人の餓死者を出した。
その中で、ベトミンだけが貯蔵した米を奪って農民たちに分け与え、確実に農民たちの支持をかちとっていった。
【戦後に起きた戦争】
第二次世界大戦後、ベトナムでは、ホーチミンがベトナム民主共和国の独立を宣言。
それを認めないフランスと独立を勝ち取るための戦いが始まる。
1946年、インドシナ戦争が起こる。
戦争中の1949年、フランスは、バオ=ダイをたて、ベトナム国を樹立する。
その後、戦局は、次第にフランスに不利となる。
1954年にはフランス軍の重要拠点・ディエンビエンフーが陥落する。
1954年、ジュネーブ会議で、ジュネーブ休戦協定が成立し、北緯17度より北をホーチミンの政権にゆずる。
ベトナム民主共和国は統一を主張したが、フランスに代わってアメリカが南の政府を支援し、ベトナムは南北に分断された。
1955年、南にベトナム共和国が成立し、ゴ=ディン=ディエム大統領が就任する。
ベトナム共和国はバオ=ダイを追放して樹立する。
ゴ=ディン=ディエム大統領は、1963年にクーデターで暗殺される。
【ベトナム戦争に関連する地名および国際関係】
1960年、南ベトナム国内に、南ベトナム解放民族戦線が結成される。
ベトコンは北ベトナムの指導により結成され、ゲリラ戦を展開していた。
アメリカは南ベトナム政府を支援し、1960年代半ばから数十万の軍隊を送りだす。
ソ連や中国に支援された北ベトナムを攻撃することになる。
1964年、トンキン湾事件が起こる。
アメリカの駆逐艦が通常パトロール中に北ベトナムに攻撃されたた。
アメリカが報復攻撃として北ベトナムを攻撃したが、不審な点が2つあった。
① アメリカは通常パトロールではなく、北ベトナムの基地を攻撃する作戦を行い、北ベトナムの領海を侵犯していた。
② 2発目の攻撃があったのでアメリカは報復に出たというが、2回目の攻撃はなかった。
1965年、アメリカは、北ベトナムへの爆撃を開始し、さらに、アメリカの海兵隊はダナンに上陸する。
1968年には、アメリカの地上兵力は50万人に達した。
ソ連・中国の援助を受けた北ベトナムとベトコンの抵抗は激しさをます。
ベトナム戦争は内線から、アメリカとの戦争へと拡大する。
1968年1月31日、テト攻勢が行われ、南ベトナムのアメリカ大使館がベトコンによって占拠された。
その後、密林でのゲリラ戦に悩んだアメリカは、1967年から大規模にダイオキシンなどの薬剤を使用する。
ベトコンが身を隠す森林を排除するためと、農作物を枯らして食料を断つ作戦を決行する。
1969年まで続いたこの作戦は「枯れ葉作戦」と呼ばれる。
ベトナムの森林の20%が枯れてしまった。
ダイオキシンにより住民や兵士の間に、多数のガン患者や奇形児出産が発生した。
1967年には、ワシントンで大規模な反戦集会デモが行われ、デモ隊と軍隊との衝突も起き始める。
1968年、ジョンソン米大統領は、北爆の停止を発表し、北ベトナムとの和平交渉に入った。
1970年、ニクソン大統領のアメリカは、カンボジアへ侵攻することに成る。
撤退を早めるため、アメリカはカンボジア領内の北ベトナム補給基地を攻撃した。
また、カンボジアでクーデターを行った親米的なロンノル政権を支援するという目的もあった。
こうして、戦火はインドシナ半島全域へと広がった。
1973年、パリ和平協定(ベトナム和平協定)が調印される。
アメリカのいなくなったベトナムでは、北ベトナムが優勢となる。
1975年、南ベトナムのサイゴンが陥落する。
その後、アメリカが威信をかけて守ろうとした南ベトナムは崩壊する。
南ベトナムは、北ベトナムの支配下に入り、1976年、南北ベトナムが統一される。
ベトナム社会主義共和国 ( 首都=ハノイ ) が誕生する。
ベトナムは、南北の統一とその後の社会主義化による農業や工業の国営化強行を行う。
そのため、経済が混乱し、多くの人々が難民となる。
ベトナム南部からボートや漁船で南シナ海にボート=ピープルと呼ばれる難民が流失する社会問題が起きる。
【ドイモイ】
1986年、グエン=バン=リンは、ドイモイ政策を打ち出す。
いわゆるベトナム版のペレストロイカのことである。
社会主義になったが、思うように経済が発展しない状況が続く。
国の統制を大幅に緩める一方、個人の自由な経済活動を奨励しす。
個人経営が認められ、国営企業も独立採算制をとる様になる。
資本主義の長所を採り入れ、社会主義経済を成功させようとする。
農業でも、すでに、1981~85年に請負制が導入されている。
農家に土地が割当てられ、生産物を自由に売却することができるようになった。
首都ホーチミンには、「 ニューリッチ 」 とよばれる、個人経営の会社で利益をあげた人たちが生まれる。
【30年目の制裁解除】
1994年2月、アメリカの対ベトナム経済制裁が解除される。
国交正常化の最大の障害はベトナム戦争での行方不明米兵問題であった。
行方不明米兵は約2200人とされるが、その家族や復員軍人組織がその探索を求めて、制裁解除に反対してきた。
一方、ベトナム側の行方不明者は30万人以上、それに枯れ葉剤などの後遺症に多くの人が苦しんでいる。
にもかかわらず、ベトナムはこれまで行方不明米兵の調査に協力してきた。
ベトナムにだけ完璧な消息確認を要求するのはおかしいとの不満もある。
クリントン政権で対ベトナム経済制裁解除に至ったのは、ベトナム市場での出遅れという危機感でした。
日本、フランス、台湾、香港のベトナムでの投資ラッシュは始まっている。
また、ベトナムにとっても、ドイモイに弾みをつけ、経済成長を加速させる一大好機となるだろう。
1995年7月、アメリカとベトナムの国交が正常化される。
1995年7月、ベトナムが、ASEANに加盟する。
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ベトナムの生活水準
ベトナム人の生活水準は年々上がってきていますが、日本人と比べるとまだまだ貧しい生活をしている人がたくさんいます。
一方で日本人がびっくりするような、贅沢な生活をしているベトナム人もいます。
それぞれのタイプのベトナム人の生活水準や生活スタイルについて解説していきます。
国民のおよそ4割が貧困層であり、世界的に見ると、比較的、貧しい国と言われています。
しかしながら、昨今の経済成長は非常に著しく、2次産業、3次産業が急速に成長し、観光業も非常に伸びています。
ものすごいスピードで経済発展を遂げている国が、ベトナムなのです。
経済発展の一つの原因として、人件費が安く、中国の6割ほどということがあげられます。
【ベトナム人の給与と生活水準】庶民
ハノイやホーチミンで暮らすベトナム人庶民の月給は、およそ20,000円〜50,000円です。
彼らは車こそ持つことはできませんが、最新のスマホやバイクを乗り回すことができています。
しかし住んでいる家は古くて綺麗とはいえず、海外旅行はもちろん国内旅行などもほとんど行くことができません。
ベトナム人(庶民)は教育にお金を惜しまず、子供達が立派な仕事についてもらったり。
日本などの外国に行ってお金を稼いでくれたりしてくれることを目指しています。
ベトナム人は早くから結婚し、すぐに子供を産むことを求められます。
子供が生まれても両親は毎日仕事に出かけるため、子供は祖母が世話をするのが普通です。
【ベトナム人の給与と生活水準】貧困層
一方で月収が20,000円以下の貧しいベトナム人たちもたくさんいます。
彼らの生活は仕事だけと行っても過言ではありません。
仕事は路上で野菜や果物を売ったり、食堂を経営したり、警備員やスーパーで働いていたりします。
彼らはテトの期間中以外は休日は基本的になく、朝早く仕事を始め夜は帰って寝るだけの生活パターンを繰り返しています。
地方では農業や漁業などを営んでいる人もいのますが、生活は苦しく水道は通っていません。
電気も夜はほとんどつかないという家庭も珍しくありません。
彼らは成人した子供たちの仕送りに頼っています。
親族からお金を借り集めて台湾や韓国、または日本などに出稼ぎに行かせている人もいます。
そんな彼らもバイクやスマホなどは持っていることは多いのです。
月収20,000円程度でなぜ100,000円以上するスマホや携帯を持てるのか不思議なところです。
ベトナムの教育・就職
ベトナムの教育制度は,初等・中等教育が6歳から始まります。
小学校5年間,中学校4年間,高等学校3年間の12年制で,小・中学校の9年間は義務教育です。
ベトナム人は,昔から開発途上国の中では識字率は非常に高いと言われています。
高校生のうち,数学や理科で優秀な成績を収めた児童が各省や中央政府に表彰されるといった制度もあります。
日本に対する関心も年々高くなっており,日本語を学ぶベトナム人は4万人以上。
ハノイ,ホーチミンを含む5地域の中学校・高等学校では,日本語を学習しているクラスもあります。
ベトナムの人たちの成人識字率は、なんと90%以上と非常に高く、文字が読める人がとても多いのです。
ベトナムは、教育熱心な国ということも言えるでしょう。
また、ベトナムでは、徴兵制を採用しており、18~27才の男性には、2年間の兵役義務があります。
ベトナムの国民性
ベトナム人はとにかく、家族を大事にします。
そしてこの場合の家族とは親戚までもが含まれます。
それでベトナム人は家族と夕飯を一緒に食べるために、仕事が残っていても残業はしません。
家族(親族)の紹介で仕事や結婚が決まるということも少なくありません。
子供は子供で親をとても大切にしていて、日本人からしたらマザコンと思ってしまうレベルで母親を大切にします。
一方で子育てに関してはベトナム人は愛情は時間よりもお金と考えている人が多いようです。
小さな子供を両親に預けて都市部や外国に働きに出かける人も多くいます。
日本人だと少し親を恨んでいる人もいそうな環境ですが、ベトナムの子供達は親をとても尊敬しています。
成人したら親たちに仕送りをし、定期的に故郷に帰って家族(親族)団欒を楽しみます。
ベトナム人は日々の生活の中で年長者を非常に大切にします。
バスでは若者が年配者にすぐに席を譲りますし、年長の方を敬う言葉を使います。
おじさんが小言を言っても若いベトナム人たちは、敬意を払って耳を傾けます。
またベトナム人は先生にとても敬意を払い、先生の言うことをきちんと聞き、道端で会ったら挨拶をします。
このような日本では忘れられてしまった文化が、いまだにベトナムの生活では大切にされている。
これも、ベトナムの魅力の一つです。
ベトナム人の性格は
全般的に、勤勉で真面目、我慢強く、忍耐力があり、チームワークも得意であり、無愛想なところも有ります。
しかし、一度、仲良くなると、長く付き合えるなどの性格があります。
全般的に、熱帯性の性格を帯びています。
ベトナム南部の人たちは、特に熱帯特有のオープンな性格です。
誰とでも、初対面の人とでもすぐに仲良くなれます。
また、楽観的で非常に明るく、おしゃべりであり、親切心があるということです。
では、ベトナムの人たちの全体的な性格はと言いますと、
特徴①:勤勉で真面目であり、恥ずかしがり屋
とても、日本人と似ている所が有ります。
特徴②:親切で、世話好きなので、困った時には、手を差し伸べてくれる人情味がある
もちろん、嘘を言って騙したり、お金を盗もうという人も、どこの国にもいます。
ベトナムにもいるので、くれぐれもご用心ください。
特徴③:商売が上手で、価格交渉がうまい
そのため、安く買おうと思ったら、本腰を入れて価格交渉に粘り強く取り組まないといけません。
特徴④:非常におしゃべりであり、おしゃべり好きな人の割合も多い
ベトナムの人たちは、対面であれ、電話であれ、いつも何かをしゃべっています。
特徴⑤:時間にルーズ
時間は守らないと考えておく方がよいでしょう。
特徴⑥:細かいことは気にせず大雑把で、物の所有の概念が日本と若干異なる
自分の物と他人の物の境界線が非常にあいまいで、他人の物であっても 勝手に使ってしまうことです。
とにかく早口にまくしたてて、言い訳をしまくるところがあります。
将来的にお金が入ってくることなどには興味がなく、今、お金が入ってくることを優先するということです。
これは、長い戦争経験より、将来がどうなるかなど分からない、今が最も大事なんだ。
ということを身に染みて知っているからなのです。
なお、ベトナム人は、日本人と同じく、勉強熱心で、努力家であり、向上心が非常に強いです。
特に、日本にやって来るベトナムの留学生達は、日本で知識と技術を吸収して、祖国ベトナムで何かを成し遂げよう。
覚悟を決めてやってきますから、寝る間を惜しんで猛勉強し、素晴らしい成績を残すことが多いです。