タイ・タイ人について、ほんの少しですが情報のご提供をさせて頂ければと思います。
是非、今後の参考にしてみて頂けると幸いです。
タイの基本情報
正式名称 | タイ王国(タイ語名:プラテート・タイ/英語名:Kingdom of Thailand ) | |||
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国土面積 | 51万4000km2 | |||
人口 | 6,891万人(2017推計) | |||
首都 | バンコク(タイ語名:クルンテープ・マハーナコーン ※/英語名:Bangkok) |
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独立年月日 | 1238年 1月 1日 | |||
国連加盟 | 1946年12月16日 | |||
在日公館 | 駐日タイ王国大使館 〒141-0021 東京都品川区上大崎3-14-6 TEL:03-5789-2433 / FAX:03-5789-2428 |
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国民総所得 | $5,160 億 USD (2019) | |||
平均寿命 | 75.5歳 | |||
民族 | タイ族が約85%、中華系が10%、他にモーン・クメール系、マレー系、ラオス系、インド系が暮らしており、山岳部にはそれぞれの文化や言語をもった少数民族が暮らしています。 | |||
言語 | タイ語(公用語) | |||
宗教 | 上座部仏教 94%,イスラム教 5% | |||
地形 | 東南アジアの中心に位置し、国土面積は焼く51万4000平方キロメートル(日本の約1.4倍)ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジア、マレーシアと国境を接しています。 地域区分(県) タイは大きく北部・東北部・中央部・南部の4つの地域に分けられ、その地域ごとにいろいろな顔を見せる。 北部は山岳地が広がり比較的涼しい気候である。 タイ国内最高峰であるドーイ・インタノン(2,576m)もこの地域にある。 東北部はほぼ全域にコーラート台地が広がり、雨量が少なく農作物が育ちにくい環境にあって、貧困地域の代表格にもなっている。 中央部にはチャオプラヤー川が形成したチャオプラヤー・デルタと呼ばれる豊かな平地が広がり、世界有数の稲作地帯を作り出している。 南部はマレー半島の一部でもあり、ゴムノキの畑などが広がるほか、近年までスズの採掘が盛んであった。 また、雨期が中央部よりも長いことでも有名である。 タイ政府は南部においてマレー半島大運河計画(クラ地峡運河開発計画)を提起しているが、まだ検討中である。 |
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気候 | • 熱帯性気候(熱帯に位置し、大部分は、熱帯モンスーン気候地域) • 平均気温は約29℃ - 最高気温: 30~から35℃ - 最低気温: バンコクで24~27℃、北部のチェンマイで14~24℃ (と一般に言われてますが...) 日本の冬場の11月~1月ぐらいはタイでもかなり冷えます。 この時期、バンコクも温度が下がりますが、北のチェンマイとかだと朝方には10℃を下回ったり、山の方(ドイ・インタノンとか)に行けば、氷点下(!)になる場合もあって、暑い国と言えども油断大敵です。 • 湿度は平均70~80% |
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世界遺産 | タイ国内には、ユネスコの世界遺産に登録済み文化遺産が5件です。 1 古代都市スコタイと周辺の古代都市群 - 化遺産 / 1991年 2 古都アユタヤ - 文化遺産 / 1991年 3 トゥンヤイ-ファイ・カ・ケン野生生物保護区群 - 自然遺産 / 1991年 4 バン・チアンの古代遺跡 - 文化遺産 / 1992年 5 ドン・パヤーイェン-カオ・ヤイ森林群 - 自然遺産 / 2005年
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年間休日 | 1月1日 | 新年 | ||
旧暦3月の満月 | 万仏節(ワンマーカブチャー) | |||
4月6日 | チャクリー王朝記念日 | |||
4月13-15日 | タイ正月(ソンクラーン) | |||
5月5日 | 国王戴冠記念日 | |||
旧暦6月頃 | 種耕節 | |||
旧暦6月の満月 | 仏誕節 | |||
旧暦8月の満月 | 三宝節 | |||
三宝節の翌日 | 安居入り | |||
8月12日 | シリキット王妃誕生日(母の日) | |||
旧暦11月の満月 | 安居明け | |||
10月23日 | チュラーロンコーン大王記念日 | |||
12月5日 | プミポン国王誕生日紀元節 (父の日) | |||
12月10日 | 憲法記念日 |
アトラス参照・その他
タイの歴史
【タイ王国の歴史】
東南アジアで唯一どこの国の植民地にもなることなく、独自の文化と発展を遂げて来たタイ王国
その上、少なくとも5000年前には稲作を始めた世界最初の農耕民族と言われている。
豊かな大地のもとに生まれた各王朝時代を経て、現在のタイ王国が少しずつ形作られていった。
タイを旅するなら少しでも歴史を知っていた方が、よりタイ王国のロマンを肌で感じられるはずだ。
先史時代 現在のタイ国の地にタイ族の国家が生まれたのは13世紀頃だと言われている。
それまではモン族の国・ドラバラディ、マレー人の国・シュリービジャヤ、クメール人の国・クメールなどがあった。
ドラバラディはチャオプラヤー川下流域を中心に、ナコンパトムなどいくつもの塀で囲まれた都市を作りました。
仏教を中心とする高度な文化圏が存在していたようです。
シュリービジャヤは、スマトラ島からマレー半島に至る地域で海上交易を行う大乗仏教を信仰する国だった。
クメールは、カンボジアのアンコールを首都として、タイ東北部はもとより、13世紀初めにはタイ全土を支配していた。
その結果、現在のタイ王国にクメール美術、言語、宗教などの文化的影響をもたらした。
【スコータイ王朝(1238-1438年)】
13~14世紀頃、メコン河流域に点在していたいくつかの小国家がまとまりました。
1238年、シー・インタラーティット王のもとタイ民族初の統一国家・スコータイ王国が建国された。
クメール勢力の衰退に乗じて大きく勢力を伸ばし、領土はラオスやシンガポールの方にまで及んだと言われている。
3代目となるラムカムヘーン王はタイ文字の発案、スリランカから伝わった上座部仏教を国教として制定
交易の自由を認めるなど、内政面や文化面で今日のタイ国家を形成する基盤を創った。
【ランナータイ王朝(1296-1558年)】
スコータイ王朝と平行して北部の方では、メンライ王によりランナータイ王朝が建国される。
チェンマイを都に置き、メコン河中域の小国家だったヴィエンチャンを支配下に置くなど勢力を広げました。
1558年にはビルマ(ミャンマー)の属国となった。
【アユタヤ王朝(1351-1767年)】
1351年、ウー・トン候はアユタヤに都を移し、自らをラーマティボディ1世と名乗り、アユタヤ王国を築いた。
以降、歴代34人の王による統治が400年続く一大王朝となった。
その歴史は平坦なものではなく、初期はクメールやチェンマイ、16世紀中頃からはビルマに侵攻されるなど、戦いの連続。
一時はビルマの属領となったアユタヤだが、17世紀初頭には再び政権を取り戻した。
アユタヤは中国、インド、西欧の国々、日本などと交易をおこない、国際商業都市として栄えた。
1765年、再びビルマに侵攻され、2年間の戦いの後、1767年4月7日の総攻撃で一夜にして陥落。
これにより仏典、寺院、仏像などがすべて破壊されてしまった。
【トンブリー王朝(1767-1782年)】
アユタヤ王朝滅亡後、アユタヤの将軍だったプラヤー・タクシンが自ら王となりました。
バンコクの対岸にあるトンブリーを新都として定めた。
タイ人は国の支配権を回復し、北部地方も中央のシャムに統合しました。
やがてタクシンは自分を新しい仏陀と見なすなど、精神に異常を来すようになった。
そして1782年、主要な将軍だったチャオ・プラヤー・チャクリーのクーデターにより倒れた。
【チャクリー(ラタナコーシン)王朝(1782-現在)】
タクシンを倒した後チャオ・プラヤー・チャクリーが権力を握りました。
王都をトンブリーの対岸のバンコクに移し、チャクリー王朝の王、ラーマ1世となった。
ラーマ1世は過去のビルマの侵略によって衰退したタイ文化の復興に力を注ぎ、国内を整備した。
そして国際情勢の変化に伴い、
1855年、ラーマ4世はイギリスとの間に自由貿易を原則とする条約を結びます。
その後その他の西欧諸国とも同様の外交関係を築いた。
さらにラーマ5世(チュラロンコーン大王)は、
奴隷制度、労役を廃止すると共に、司法、行政制度の整備、郵便通信事業、教育制度の制定します。
鉄道の建設など、近代国家としての基礎を作り上げ、絶対君主制を確立した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
タイの生活水準
【タイの首藤産業は】
タイの主要産業といえば、天然ゴムや米が良く知られています。
タイの農業就業者はいまだ40%を占めていますが、GDPではなんと12%にとどまっています。
これはタイ政府が一次産業からの脱却を図っているためです。
自動車、電子・コンピュータ、食品加工、医療、観光の5つの分野に力を入れた結果です。
80年代以降には、日本を始めとした海外からの直接投資が盛んに行われています。
現在では自動車、コンピュータ関連などの製造業が大幅に増加し、総輸出額の90%近くを占める工業国へと変化しました。
タイは観光業でも経済を支えています。
日本からも国別訪タイ人数第三位となる年間138万人がタイに訪れております。
またタイ政府は政策としてメディカル・ツーリズムを推進しています。
JIC認証(世界基準の患者安全・感染管理・医療の質に対する認定)を受けた病院は、アジア随一の37病院を数えます。
中東の富裕層やヨーロッパからも多くの旅行客がタイへ訪れています。
メディカルツーリズムを含めた観光はタイの重要な産業となっています。
タイの教育・就職
【タイの教育制度】
タイの教育制度は「6・3・3・4制」
義務教育期間は日本同様9年間ですが、1999年以前の義務教育期間は6年でした。
新学期は5月16日に始まり、9月末頃から10月半ば頃までの中休みを挟み、翌年3月半ばまでの2学期制を敷いています。
飛び級などで教育課程を終了している場合や病気を除き。
理由なく児童を就学させなかった保護者には1,000バーツの罰金が課せられます。
外国人に就学義務はないため、日本人の子息は日本人学校やインターナショナルスクールに通うことが一般的です。
タイ人と外国人の国際結婚家庭では、タイの公立学校に通わせるケースもあります。
また外国人も、教育省の許可を受けてタイの国立学校に入学することは可能で、その場合も授業料は無償となっています。
予算不足により、田舎の学校は都会の学校より設備に乏しい。
教育レベル、特に英語教育レベルも低い、多くの高校生は近隣の都市まで60-80kmをかけて通学することもある。
学期は2つに別れる。
前期は5月に始まり、10月に終わる。
後期は11月に始まり、3月に終わる。
現状は厳しく地域により小学校の入学時期ですら一律でなく、10歳を過ぎても小学校に上がれない現状が有ります。
理由は、親に代わって家で幼い弟妹の面倒を見ていたりして入学出来なかったりしま。
また、学校に行きたくても、近くに小学校がないという事情もある様です。
【タイの就職状況】
就職についてですが、タイ労働市場の失業率は、
2005年以降、1%台で推移した後、2011年になって1%を割り込むまでに低下。
経済学で言う完全雇用に近い状態が続いている。
このような状況下であれば、「就職難」とは無縁の労働環境にあると思われがちです。
しかし、タイでは事情を大きく異にしている。
日本では人材は企業が内部で育て上げるものという考え方が一般的だが、タイの社会にそのような習慣はない。
タイの企業が求めるのは、すでに技術や知見を兼ね備えた「即戦力」としての“熟練”労働者。
新卒者を雇用して育てるという考え方がそもそも存在しない。
争いを好まないという伝統的な国民性です。
そのため、タイ人を評して受動的で積極性に欠ける人が多いという指摘があることは否めません。
タイの国民性
【ワイがとても大切な習慣です】
タイはアジアの国ですから、欧米諸国のようにハグをしたりといった身体接触は基本的にはありません。
その代わりにタイ人によく見られる動作がワイという、両手を拝むように合わせお辞儀をするしぐさです。
合わせた手のひらは少しふくらませ、ハスの花のつぼみの形にします。
これは相手への敬意を表すもので、通常は目上の人からすることはありません。
【ニックネームをつける文化】
タイ人は生まれた時に、親や親戚が本名と一緒にニックネームを命名します。
そして社会に出てからも上下の関係なくこのニックネームで呼び合うことが多く、本名よりも格段に高頻度で使われます。
ニックネームのバリエーションはとても広く、植物の名など自然の風物に因んだもの。
将来お金持ちになるように「宝石」などと願いを込めたもの。
「ジャイコ」など日本のアニメからとったものなど実に様々です。
男言葉と女言葉がある。
日本語ほどはっきりはしていませんが、タイ語には男言葉と女言葉があります。
一番顕著なのは語尾です。
「カップ」は男言葉、「カ」は女言葉です。
仏教が生活に根差している
タイの国教は仏教で、国民の90%以上が仏教徒です。
男性のほとんどが期間の長短はあるにせよ、出家をする習慣があり、修行を終えると一人前とみなされます。
町には寺院が多く、黄衣の僧侶の姿も珍しくありませんが、女性は僧侶に近づき過ぎてはいけません。
また、子供に対してでも、魂が宿るとされている頭を撫でるのはご法度です。
【タンブン】
タンブン(功徳を積む)をすると来世で幸せになれると信じられているタイでは、人々がタンブンする姿をよく見ます。
タンブンで1番ポピュラーなのは寺院で祈ることや托鉢の僧侶に施しをすることです。
その他、動物愛護や困っている人を助けることなど、あらゆる善行がタンブンととらえられます。
【屋台が多い】
タイでは食べ物の屋台が発達しています。
道端に簡易テーブルと椅子があり、そこで食事ができるもの、テイクアウト専用のものなどがあります。
売っているものも麺類から揚げ物、スイーツや果物まで様々です。
安価で容易な屋台はタイを知る食文化の代表です。
【タイ人の平均寿命】
タイ人の平均寿命は2000年以降右肩上がりで伸び、2013年には74.37歳となりました。
2014年のタイの中央年齢は36.2歳ですから、日本の45.9歳と比較すればまだまだ若い国と言えます。
・タイ独特のものとして、2%ほど女性人口が少ない
・30万人とも言われる男性僧侶がいる
・男性に兵役がある
・トランスジェンダーが多い
このように結婚適齢期の女性にとって厳しい条件が揃っていると考えられています。
タイの性格は
タイ人はどんな性格の特徴をもっているのでしょうか?
【タイ人男性の性格】
タイ人の男性は、女性に対してとても優しい人が多いです。
世話好きな国民性に加えて、女性に対して、とても尽くす人が多く、女性にとってはうれしい対応の男性が多いと言えます。
しかしながら、優しい性格で、女性への対応がいいからでしょうか?
女性受けがいいので、浮気性の人が多いのも特徴です。
タイ人男性と付き合う場合は、浮気には気を付けましょう。
また、タイ人男性は、仕事に対してあまり熱心とは言えないところもあります。
のんびりした性格からなのか、日本人のように仕事へ対する意気込みは感じられません。
【タイ人女性の性格】
タイ人は、女性の地位が高い国民です。
2015年3月8日にシンガポールでアジア太平洋女性大会が開催されました。
参加した国は12ヶ国。
その中で、女性の社会参加、教育水準、婚姻状態、収入など、社会的に最も水準の高い国に選ばれたのがタイでした。
ちなみに、日本は最下位でした。
タイ人男性が女性に優しく、女性に尽くすは当たり前です。
日本人から見ると、そんなタイ人男性の女性の扱いに少し驚くかもしれませんね。
また、タイ人女性は、やきもち焼きの人が多いです。
これは、だれにでも優しいタイ人男性という環境が影響しているのではないでしょうか?